ゆーさんの空

日頃考えてる事をつれづれなるままに書き記す場所

自分の考えを育てるための問題演習みたいなもの。

こんにちは。

 

夕方です。嫁さんがお風呂はいってる間にポチポチしてます。

 

 

さて、僕は今「35歳の教科書」という本を読んでます。

えぇ。これからの人生非常に悩んでいます。

30歳までが人生だと思ってましたが、断然30からが人生なんだと今更ながら思います。

 

で、その本の中に、こういった課題がありましたので、面白かったので、僕なりの考えを書いてみます。

 

 

〜〜引用ここから

Q.以下2つの手紙のどちらに賛成しますか?

片方もしくは両方の手紙の内容にふれて自分の言葉で自分の考えをまとめてください。

 

1通目

「学校の壁の落書きに頭に来ています。壁から落書きを消して塗り直すのは、今度が4度目だからです。

想像力という点では見上げたものだけれど、社会に余分な損失を負担させないで、自分を表現する方法を探すべきです。

私の考えでは、建物やフェンス、公園のベンチは、それ自体がすでに芸術作品です。

落書きでそうした建築物を台無しにするというのは、本当に悲しい事です。

そうれだけではなく、落書きという手段は、オゾン層を破壊します。

そうした「芸術作品」は、その度にけされてしまうのに、この犯罪的な芸術家たちはなぜ落書きをして困らせるのか。本当に私は理解できません。」

 

 

2通目

「十人十色。人の好みなんて様々です。世の中はコミュニケーションと広告であふれています。

企業のロゴ、お店の看板、通りに面した大きくて目障りなポスター。

こういうのは許されるでしょうか。そう、大抵は許されます。

看板を立てた人は、あなたに許可を求めましたか。求めていません。

それでは、落書きをするひとは許可を求めなければいけませんか。

これは単に、コミュニケーションの問題ではないでしょうか。

あなた自身の名前も、非行少年グループの名前も、通りで見かける大きな制作物も、

一種のコミュニケーションではないかしら。

芸術多難の時代です。」

 〜〜引用ここまで

 

A.ぼくなりのかいとう

僕は1通目の手紙の方に賛同します。

 

2通目の手紙の、

「看板を立てた業者はあなたに許可を取ってないから、

あなたは落書きをすることに許可を取る必要は無い。」

 

なら、あなたの家に落書きをすることも許可はいらないですよね?

落書きしてもいいよと言われても、僕ならしません。

することによって、自分の家まで落書きされる危険性をはらんでるから。

 

世の中にはある一定のルールがあります。

人を殺してはいけないというのもルールです。

人から殺される心配を無くすために、

人を殺してはいけないとルールがあります。

いつ殺されるかビクビクしながら生活していては、外も歩けません。

それでは世の中が生産的では無くなるので、人を殺してはいけないというルールを作り、

そのために人から殺されないという安全を得るわけです。

 

学校やベンチや壁にらくがきをすることはその安全を犯しているのではないかなと思います。

 

もう一つ例をあげると、お店の看板はその絵柄やフォント、色や大きさによって、

創業者の意図をふんだんに含んだ芸術であると言えます。

りくろーおじさんが、落書きでおばさんになってしまっていたら、全然別物ですよね。

(ネタとして笑える、かもしれませんが。)

 

そういう芸術をけがす行為は、やはり許されるものではありません。

 

おそらく、こういう人達は自分の行為に反応してほしいのだと思います。

構ってほしいんですね。

大きな白紙のキャンバスを手渡して「さぁ、絵をかけ」と言っても、書かないんじゃないかな。

だって、誰もみないし反応しないから。

 

たとえば一棟まるまる落書きキャンバスとして利用してくれみたいな提案もいいかもしれません。

大阪なんばのアメリカ村なんかではスプレーアートがほどこされた建物をよく見ます。

あれは、絵としてみれるレベルの落書きですが、

本当に「○○参上!夜露死苦」「xx死ね」みたいな事だけかかれても困りますけど。

 

なんにしてもある程度の秩序が保たれた状態で芸術は成り立つのかなと思ってるので、

(芸術自体にルールはいらないと思いますよ。だって枠にはまった芸術はつまらないから)

なので、僕はやはり1通目の手紙の意見に近いかなと思います。

 

 

 

 

いやー、考えるのって頭をつかうからしんどいですね。

でも、こうやって考えたことをブログのネタにして、書いてしまえばいいので、

書評よりも楽だなぁという感想です。