ホストのローランドが教えてくれた人生で大切なたった一つの事
俺か、俺以外か。
ホスト業界で、かの有名なローランド氏は言いました。
「世の中には、2種類の人間しかいない。
俺か俺以外か。」
この一言ってローランドさんの名言の中でも一番有名な言葉です。
彼の言葉は、ナルシシズムの極みかなと思うところはありますが、結構真理をついていると思います。
彼の言葉の意味は、ローランドという俺は他の誰でもない唯一無二にして最高の存在であるという意味だと思います。
ただ、僕はそこから、もう一つの意義を感じました。
俺か俺以外って言うのは、物事を大きく2つに分けて極端に単純化してるって事です。
単純化することで、思考がしやすくなります。
色んなしがらみを振り払って、シンプルに考えることで行動に移しやすくなる。
そんなことを思ったわけです。
僕は日々の生活の中で、嫁との喧嘩でイラついた時、「嫁・子供のいない人生か、独りの人生か、どちらがいいんだ?」と言うことを常に問いかけています。
独身時代が長く、寂しい思いをしていた私は、こんな自分でも一緒にいてくれている嫁に感謝をしています。
独りの時の寂しさは何とも辛いものでした。それはもう嫌なのです。
嫁に対して、もちろん何でも自分が折れたり妥協することはしませんが、自分が折れるぐらいで丸く収まるなら変なプライドは捨ててしまえ。
「嫁といれる人生」選ぶ、という思考になるわけです。
生きてる中で、色々な出来事が起こります。
やりたいけど、時間が無いとか、知識がないとか、時期が悪いとか。
そんな色んな条件を全く無視して、「やるか、やらないか」とバッサリと切ってみる。
もっと言うと、「やることのデメリットとやらないことのデメリット」を天秤にかけて考える。
こうする事で行動に移しやすくなることは多いと思います。
余談ですが、僕は子供の可能性を親がせばめてはいけないと常々思っています。
親ができない事や嫌な事は、子供にはさせないでしょう。
子供がどろんこになるのが嫌なら、砂場には行かないし、虫取りが嫌いなら公園には行かないし。
僕は、子供の頃はセミなんて余裕で触れてましたが、大人になってからセミが気持ち悪くて仕方ないんです。
でも、子供が大きくなった時にセミを取ってくれと頼まれた時を想像して、今日はセミの死骸を手に乗せる事に成功しました。
「やるか、やらないか。」
かなりしょうもないことではあるけれども、自分で決意し行動に移す事の大切さを学びました。
セミを触るだけでもかなり勇気がいりましたが、成功して嬉しい気持ちです。
次は生きたセミを取らないと。
何年先になるかは分からないけど。
それじゃあ、また。
プロのサボリーマンの私がしてきたサボり場所とサボり時間のランキング
こんばんは。プロサボリーマンです。
「仕事 + さぼりすぎ」でなんとGoogle検索No.2を取ってしまいました。
その記事がこれ。
なんとも不名誉なサボリーマンとして認知されつつあります。
みんなそんなにサボりたいのか?
なら、教えてやろう。サボりの極意を。
サボるには、サボる場所が重要です。というかそれしか無い。
僕がしてきたサボりの中からオススメしたい場所を書いていくよ。
No.1 公園(滞在可能時間:6時間)
やっぱりダントツで公園が一番いいね。
公園には大体駐車場があります。そこに車を止めたら即席ネットカフェの完成です。
飯を食うもよし、スマホでYouTubeを見るもよし、日記を書くもよし。
なんでもござれの素敵空間。
夏場はひたすらに暑いので木陰があるような駐車場はベスト。
社用車で休憩できるならクーラーや暖房をガンガンに炊いてください。
スマホの充電問題があるので、モバイルバッテリーや充電ケーブルはお忘れなく。
場所的には、幹線道路に面しているいるところは避けて、一本道を入ったところや、木などの障害物で隠れるところがベスト。
No.2 マクドナルド(滞在可能時間:4時間)
次はやっぱりマクドナルド。100円のコーヒーを頼むだけでずっといれちゃう素敵空間その2。
ある程度ガヤガヤしているし、そんなに激ゴミする空間でもないのでリーマン1人がずっといたところで全く無問題。ガヤガヤしてるから電話してもさほど問題にならない。
ただし学生が多いから、夏休みとか夕方はあまりゆっくりできないかも。
No.3 コメダ珈琲(滞在可能時間:3時間)
喫茶店って意外と滞在時間短め。
特にコメダ珈琲はソファーが気持ち良いから結構好きだし、「たっぷりコーヒー」を頼めば長居しても文句は言われない。
なんでか知らないけど、コメダ珈琲って朝から混んでる。昼も混んでる。
しかも、4人がけの席に通されることが多いもんだから、リーマン1人でいると流石に気まずい。
しかも店内はさほど広くないからずっと居座るとかなり目立つ。
本を1冊読めるかなぐらいの時間しかいることができない。
あと、電話がかかってきたときに店の外に出る必要があるため、面倒くさい。
No.4 図書館(滞在可能時間:2〜3時間)
図書館の規模にもよりますが、
リーマンが昼間っからずっといるのは明らかに不自然。
周りを見渡すと夏休みの学生か、おじいちゃんおばあちゃんが多い。
喫茶店なんかと比べると明らかにリーマン率が低くて浮きまくる。
鋼のメンタルをお持ちの方なら関係無いだろうけど、職員の目も心無しか冷たく感じるのは気のせいだろうか。
ただし、自習室があるところは、5時間ぐらいは滞在できる。
番外編
我が家(滞在可能時間:8時間)
お早うございま〜す。行ってきま〜す。ただいま〜。ぐーすかぴー。
ただいま帰りましたー。お先に失礼しまーす。
用法用量は守ってお使いください。
それじゃあ、また。
パソコンのマウスとテンキーを使わない仕事術
こんばんは、お久しぶりです。
大阪に転勤になってからというもの5月までは忙しかったのですが、6月に入ってからいきなり暇になったので、いつものサボりぐせがうずき出しました。
ただサボっても仕方ないので、仕事するフリをしながら自分だけの働き方改革を実行していってる次第です。
その中で、今は「パソコンのテンキーを使用せずにキー入力が出来ないか」に挑戦しています。
かなり地味ですが、熟練度が上がればキー入力スピードはかなり上がると思います。
僕は、会社のパソコンがノートパソコンで外付けでテンキーレスのキーボードを接続して使っています。また、外付けのテンキーもパソコンに接続して使用していました。
ですが、ふと、「テンキーって無い方が実はメリット多くないか?」と思い、試しに実行してみようと思ったんですよね。
テンキーを使わないメリット
常にホームポジションでキーボードを打てる
仕事で文章を作成していると文字と数字が入り交じることが多いですね。
特に住所を書く時は、「川崎町3丁目5−5−7」の様な文言が多いです。
今までは、数字の時だけテンキーに右手を移動して、数字を打ち、そしてキーボードに戻ってくるというやり方をしていました。
それだと、数字が出てる度に右手がかなり移動してしまいます。
営業職なので、EXCELで見積もりを作りまくるんですが、意外と数字よりも文字の方が多いんですよね。テンキーは、連続して数字ばかりを打つ場合は優れているんですが、文字との連携の時は実にロスが多いので好きではありません。
キーボードとマウスとの距離が近くなる
テンキーレスのキーボードを買ったわけはマウスとキーボードを近づけて使いたかったからです。
今までは、「キーボード」「マウス」「テンキー」という具合に配置して使用していました。マウスを起点として、右手がキーボードとテンキーを往復できる様に配置していたんです。
「テンキー付きのキーボード」「マウス」の配置や、
「キーボード」「テンキー」「マウス」の配置だと、マウスからキーボードまでの距離がかなり遠く、手が疲れてしまいます。そういう意味でもテンキーは邪魔でしかありません。
テンキーを使わないデメリット
片手で数字を打つ時は、入力スピードが落ちる
営業職なので、電話しながら電卓を叩くことがあります。僕は、電卓はパソコンのソフトを使用しており、物理的な電卓は使用しないという宗教を信仰しています。
自称ミニマリストなんで。
片手に電話、片手で数字を打つとものすごく遅いです。
キーボードの数字キーは、横一列に並んでいるので、片手で打つと指の移動が多いですね。これだけは最大のデメリット。
ですが、固定電話片手にもう片方でiphoneの電卓ソフトを使用すればいいですね。
自己解決してしまった。
電卓ソフトを使う時、+ー÷×をおすのにキーの位置がバラバラ。
特に「+」キーは「Shift+;」を押す必要があるので、打つキーの数が多くなります。
電卓ソフトで簡単な計算をしているだけなのに、両手で計算しているという仰々しさ。
あと、最近マウスも極力使用しない様に心がけています。
マウスってアナログ操作ができて便利なんですが、アナログが故にデメリットも多いですね。
テンキーと違って、マウスを全く使わないでパソコン操作をするのは現状僕のスキルでは不可能なので、「極力」使用しないやり方を考えてます。
マウスを使わないメリット
腱鞘炎になりずらくなる
マウスは、手首を動かす動作が多いので、腱鞘炎になりやすいです。
僕は、腱鞘炎にならないまでも結構手首に疲労を蓄積しているようで最近痛いです。
キーボードショートカットを覚える様になる
というかショートカットを覚えないとマウスの使用は減らせません。
キーボードショートカットを調べてみると色々あるんですね。
「win + →」でウインドウを右端に寄せられたり、「ctrl + w」でエクスプローラーを閉じれたり、chromeのタブを閉じれたり、「ctrl + t」でchromeの新規タブを作れたり。
マウスだといちいちxボタンまでマウスをあわせてないといけませんし、微妙にマウスのポインタがずれたりするとちゃんと閉じれなかったりします。
ちょっとイラッとしますよね。
そういうアナログならではのデメリットがなくなるので、キーボードショートカットはオススメです。
という感じで、サボりながら楽するためのお勉強をしていましたとさ。
不登校経験ありのおっさんが語る「ゆたぼん」こと不登校ユーチューバーの危うさについて
高校時代に1年間の不登校経験を持つ俺から一言言わせて。
「学校には行っておけ。せめて小中学校ぐらいはな。」
まず、ゆたぽんの主張は、「学校は行かなくて良い。不登校は不幸じゃない。」と言うメッセージがあります
でも、動画を見てみると、
「宿題をやりたくないから学校に行かない」
「先生や親の言うことを聞く周りの子供たちが、ロボットに見えた」ですね。
宿題をやりたくないから学校に行かないと言うのは、単なるわがままだしそれは逃げだよね。
勉強は出来たら面白いし、だんだんとゲーム感覚で問題を解く感覚になって来ます。
特に小学校では、人生において最もよく使う計算や読み書きを勉強します。例えば、割合の単元が分からないと、セールの時に同じ金額の商品を買うのに、3割引より15%オフの店で買ってしまうみたいな事が起こります。
それに小学校の宿題なんてカスみたいな量だし、最近は宿題が増加傾向って言うけど、1時間もあれば終わるでしょ。
勉強出来るやつは勉強が面白いから家に帰ってすぐやるか、つまらなくてもすぐやって親を満足させといてから遊ぶって事も出来るよね。
やりたくない事をやらずに家で遊んでる不登校ならそりゃ不幸じゃないよね。
ゆたぼんは不登校じゃなくて単なる登校拒否。ヤンキーがタバコ吸ってカッコいいと思ってるのと同じ。
ヤンキーはタバコを勧めてこないけど、ゆたぼんは不登校の子供たちを救いたい的なことを言ってますね。
頼むから、自分の巣から出て来るのはやめてくれ。
生徒や教師からのイジメで学校に行けなくなった人たちを僕は何人か見てきた。俺が高校を留年して1年不登校になった時だ。
そう言う人たちは、自分ではどうしようもない外的要因で学校に行けなくなったわけで、ワガママでいかないゆたぼんとは訳が違う。
それなのに不幸じゃないと言われても、はぁそうですかとしか言いようがない。
自分も不登校経験者だけど、自分で蒔いた種だから、学校には復帰できた。自分次第でなんとか出来たから。
俺の場合は、高校が進学校で周りは頭が良い奴らばかりだった。中学時代に土日に毎週10時間勉強して根性で入学した俺とは違って、みんな地頭がよかった。
授業のレベルの高さに追いついていけず、予習を怠った俺はその授業に出たくないと思い1日学校休んだ。
これが悪夢の始まり。
勉強ができない→授業で当てられて答えられないのが恥ずかしい。失敗が怖い→学校に行きたくない
と言う負のスパイラルに陥るきっかけを自分自ら与えてしまった。
そこから奈落底に落ちるのに時間わからなかった。どんどん授業がわからなくなりわからなくなるにつれ休む日数も増えていった。
そして、完全に学校に行かなくなった俺は、大検スクールに行って、大検を取得したのち大学受験をしようと思った。
でも、そのスクールにはいじめられたりとかの理由で学校に行きたくても行けない人ばかりだった。
でも、彼らは立ち直って生き生きと日々を過ごしていた。
彼らの一人が言いました。
「学校行ってる方がよっぽど楽だよ。
まだ辞めてないなら。行っときな。」
それがきっかけで僕は1年後、もう一度1年生から始めることにしました。
そう、自分で蒔いた種ならば、自分で刈り取れる。小学校の勉強ぐらい嫌でもしろと言いたい。
図工の時間とか、音楽の時間とか楽しかったし、放課後は先生に黙って秘密基地を校内につくって遊んでたし。先生から殴られることはあったけど、先生とはそう言うものだと思ってたし。
基本的に小学校は本当に楽しかった。
その楽しさを得ていれば、宿題ぐらいなんてことはないはずだろう。
まぁ、小学校も行かないようなクソガキが人生を語るなと思うわけです。
片腹痛い。かっかっか。
仕事をサボりすぎた人間が忙しくなっておとずれた変化。サボらないのが一番。
お久しぶりです。
最近、全く更新していないのに、ブログにアクセスがポツポツとあります。
なんでかなと調べてみたら
「仕事 サボりすぎ」という検索で割と上位に表示されてました。5月前だし、みんな仕事に対してやる気がでないのかなーって思いました。
それがこの記事↓
「サボりすぎ」で検索するぐらいだから、サボりたいけどサボれないとか、サボりすぎたらどうなるのかってのが知りたのかなぁ。人間、未知の領域には恐怖を持ちがちです。先人の実体験を知って参考にするんでしょうかね。
なら、「サボりすぎだ人間がある日突然忙しくなったらどうなったか」という後日談的な話も書いてみようかなと思います。
結論を先に言っておくと、仕事はサボらない方がいいです。
仕事はサボるのではなく、「仕事に熟練して早く終わらせて、余った時間で遊ぼう」が正解ですね。
さて、この4月から大阪に転勤して、担当エリアの拡大により出張続きです。毎日の様に外に出ているんですね。
名古屋にいた時も勿論出張はありましたけど、仕事が無いもんだから自分から働きかけて仕事を取りに行くというスタイルでした。これが本当の営業活動というもの。
ところが、大阪は黙っててもある程度の仕事は来ます。お客さんからくる見積もり依頼や質問事項の数が違います。問い合わせが多いんです。ましてや、前任から引き継ぐ新しいお客さんの仕事はやりにくいですね。前任のやり方やそのお客さんに対してのルールみたいなものがあって、それを理解しながらなのでストレスがかかります。
環境の変化だけで、これほどでに違うのかと驚いています。慣れない仕事に埋もれたので今日は休日出勤です。
こうなると名古屋時代がいかに暇だったかが分かります。一日中サボってても誰からも何も言われないし、電話もかかってこないし、海を眺めて終わる日もありましたから。
でも、どっちがいいかというと、
今の方が良い。
人間はやっぱり暇すぎると心が死ぬという事です。
あと、仲間がいないと孤独で死にます。
今は名古屋時代の50倍ぐらい会話をしています。一日一言ぐらいしか言葉を発しなかった事も多々ありましたからね。
同じ環境で働く仲間や、頼って来る人(お客さん、先輩など)がいるのは嬉しいものです。
忙しい方がいいとか、休日出勤までしてやる事かよ、それってもはやマゾじゃんみたいな風に思われるかもしれませんが、不思議なものでそこまで嫌ではありません。と言っても、何年も前に忙しすぎて鬱間近になった時があるのでそこまではもうしませんけど。
結局、一人で何かをやり遂げるよりは、誰かと付かず離れずぐらいの関係でやり取りできる人間関係があれば僕はやってけるなと思いましたね。
フリーランスには向かないタイプ。。。
そんな心情の変化が訪れた4月でした。
それじゃあ、また。
転職考えたほうがいいかな。
転勤は実はメリットしかないのでは?
冒頭に早速お答えすると、
まぁ、メリットもあるけど、環境次第かな。といったところ。
ネットでは白黒ハッキリとした意見が好まれると思うのですが、転勤して4年経った僕の感想がそれなのです。
今の会社では、地元に5年勤務し、転勤先で4年ほど勤めました。
当初は転勤マジクソ、転勤ありえねーと思っていましたが4年間経ってどんな変化があったかを記したいと思います。
メリットとしては、知らない人と知り合うことができ、その人が転勤をすれば、自動的にネットワークが広がる。その人づたいに口コミで自分の評判が広がれば、自分という人間を知ってもらう事のコストが非常に低くなる。自己紹介ほど面倒臭いものはありませんからこれはかなりありがたい。
とは、いうものの自分が転勤先でネットワークを築いていなければこの恩恵は受けられません。0はどこまでいっても0なのです。
会社から家賃補助が貰えるならば、家計的にはかなり助かる。物件探しや、引越し、役所の手続きなどの手間を差し引いても年間数十万の補助が出るのであれば、かなりいいと思うわけ。同じところに住み続ければその手間はほぼ無かったことに出来るでしょう。地方に転勤すれば住コストや食費も安く抑えることが出来るでしょう。遊びに行くところがロクにないので、消費する機会自体が無くてコスパ最高です。都会は、消費する場所や新商品などが絶え間なく生まれ続け、キラキラとしますが金を消費させようとする魔の国なのです。
デメリットは、細かいことを言うと、現在の部屋に合わせて家具や家電を買ってしまうと引越し先の部屋に入らないとか、合わないなどの問題が発生します。そのため、事前に慎重に物件を選択する必要があって、選択の幅が狭まります。
他はやっぱり人間関係に尽きるかな。ゼロからの人間関係構築。おっさんになればなるほどムズカシイ。
地方に行くほど閉鎖的だなんて思いますが、自分の部署を飛び出してもネットワークを築けない自分の方がよっぽど閉鎖的だった事に気付けたので、それが一番のメリットでしたね。
それじゃあ、また。
死に山-ディアドロフ峠遭難事件を読んで
最近、ビジネス書や自己啓発本ばかり読んでいたので、自分の中の知識がかなり偏ったものになってしまっていると感じていた。なので、普通ならまず読まないであろうジャンルを読んでみようとネットを漁っていたら、こんな記事を見つけた。
ディアトロフ峠事件の真相に迫る『死に山』は、失われた冒険心に火をつけてくれる魂の一冊だからみんな読んで。 - Everything you've ever Dreamed
あらすじはこの人が大体書いているので、読んでもらったらいいけど、ざっくり言うと、「50年以上も前に旧ソ連で起きた雪山登山者9人の謎の死の真相を暴こうとする1人のアメリカ人の物語とその真相(らしきもの)。」だ。
僕の心がすさんでるのか、本が好きではないからなのかはわからないが、この人の言うような「冒険心をくすぐる」感覚は持てなかった。
ただ、旧ソ連という国に住む国民に対するイメージは少しは変わったと思う。
ソ連というと現在のロシアだが、共産主義が支配していた国というのはどうも北朝鮮や中国を連想してしまい、生きづらい世界なのかなと思ってしまっていた。
しかし、登山者である学生たちとその過程で登場する周辺の人達が実に魅力的に見えた。夜には歌を歌い、議論をし、貧しいながらも心は豊かである。
現代の物質的に豊かであるけれど、心がすさむ、貧しい世界と重ねてしまって少し羨ましかった。
ただ、これは僕の学生時代から今にかけて本当に熱中した何かがもしあったなら、それに惹きつけられる様な人も周りにいたかもしれない。だから、これに関してはなんとも言えないけれど。
また、後半の真相を暴いていく過程は非常に面白くどんどん読み進めていくことができた。
シャーロックホームズのフレーズを引用し、推理小説ばりに原因を一つ一つ切っていく。合理性の無いものや可能性の極めて低いものを削除していき残ったものが真理であるという方法である。
この過程は、過去の文献やインタビュー、そして自分で現地を訪れて得た情報を元にしながら行っている。読んでいくうちに、警察や多くの他の人が半世紀もの間、成し得なかった真相解明をしてくれるのか?!とワクワクしながらいっきに読んだ。なんだか、ゲーム逆転裁判で犯人を追い詰めていく過程の様でスリリングであった。
ただ、最後の結論としては言われる様に地味であるし、少々がっかり感はある。
しかし、この著書の行動力と粘りの調査には脱帽するし、ひとつの結論の様なものを導き出せたのは本当に凄いと思う。
それじゃあ、また。